十二代目 柴山信夫

柴山信夫という人が築いた「丸子」

今は亡き丁子屋十二代目、柴山信夫(享年92歳)こそがその人。丸子と聞いて、「情緒ある歴史的な宿場町」のイメージを心に描いた人がいれば、その人は天国の十二代目から「しめしめ」と思われているかも。時を遡ること1950年、シベリア遠征での死戦を潜り抜けた信夫は、丁子屋に婿養子としてやって来ました。そのころの丁子屋の主な生業は農業で、店の方はといえば日に10人程度の来客があるかないかの小さな茶店。やがて、時代と共に農業も下火になっていく中、信夫は丁子屋にまつわる松尾芭蕉や十返舎一九、歌川広重などのそうそうたる著名人の名を発見します!それを機に彼は農業から180度方向転換して、広重の浮世絵「東海道五十三次」に見る丸子宿の茶店の風景を取り戻すことに奔走し始めました。1970年に丁子屋は法人化され、大鈩地区より現在の地に古民家を移築し、再び広重の名物茶屋が復活!そう、今の私たちにお馴染みのあのかやぶき屋根の丁子屋は、十二代目がつくり上げたものだったのです。信夫の功績は丁子屋に留まらず、丸子地区全体のイメージづくりにまで及びました。時代と共に埋もれていったこの地区の歴史的遺産を掘り起こし、再び人々の目に触れさせることで意味のあるものにしたのです。例えば、丸子宿の民家に見られる屋号は、十二代目の直筆を加工して看板にしたもの。現代では名乗らなくなった家の屋号にもう一度光を当てました。

十三代 目馨氏(写真右)と十四代目 広行氏(写真左)

現在、丁子屋を担うのが十三代目馨氏と十四代目広行氏。今年で421年目を迎える彼らの目標は、十二代目にも強い衝撃を与えた広重のあの浮世絵です。「振り返れば未来が見える」とし、「プロジェクト421」を掲げました。版画に登場する、生産者である自然薯売りのおじさん、お客、従業員、家族、そして未来を担う子供のことを考えた未来づくり。また十四代目は丸子宿の発展の先に、静岡の宿場町を繋いでいくビジョンも描いています。十二代目の背中を見て、さらにその先へ進もうとしているのが今の丁子屋なのです。


[十二代目について]Picture Edit by Kaichi Sugiyama
動画 https://youtu.be/Dk5fhdUHF8A
[丸子の地域詳細]
動画 https://youtu.be/PnX7Jmp0JZc

大鈩不動尊

丸子朝市

毎月28日は早起きを!おいでませ丸子朝市。

毎月28日は丸子の大鈩不動尊の縁日です。この日に合わせて大鈩の集落では、朝早くから市が開かれています。国道1号線沿いにある集落の入口から不動尊まで続く道には、野菜にこんにゃくに餅、洋服や骨董品に家具まで、いろいろな店が立ち並び、昼にはほぼ売り切れ状態。取材した12月の縁日では、お正月に備えた買い物をする人々が目立ちました。現在は地域興しの一環にもなり、毎月たくさんの買い物客で賑わっていますが、元々は不動尊への参拝客で賑わった縁日。大鈩不動尊は病気や悩み事を抱えた多くの人々の拠り所でした。木々に囲まれた本堂の辺りは昼間でも薄暗く、流れ落ちる二つの滝によってひんやりと冷たい空気を帯びています。そのどこか厳かな雰囲気は、訪れた人々の心を穏やかに鎮めてくれるかのよう。今月28日は平日の火曜日です。冬の朝市は寒さとの戦いですが、ピリッとした空気の中の大鈩の散策を買い物と共に楽しんでみてはいかがでしょうか。