「洗濯する女 ― L'eau ou La grande laveuse accroupie ―」制作年1917年 鋳造年1989年 ブロンズ製

「勝利のヴィーナス ― VENUS VICTRIX -」制作年1913年~1914年 鋳造年1990年 ブロンズ製

駅南で見つけた、小さな美術館?

静岡駅南口を出てロータリーの向こう側に目をやると、2体のブロンズ像が佇んでいる。そしてその作者を知って驚いた。19世紀フランスを代表する印象派画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールである。「ルノワールで彫刻?」と疑問に思うのも無理はない。彼が彫刻制作に取り組んだのは晩年で、78歳で亡くなるまでに残した作品はほんの数点。リウマチを患いながらも若手彫刻家リシャール・ギノと協働し、2人で見事な彫刻を制作した。さて、時代を越え海を越え静岡に現れたルノワールの彫刻に、私たちはどのようにアプローチできるだろう?静岡市美術館の学芸員小川さんはこう語る。
「屋外の彫刻は天候や太陽の傾きによって光の当たり方が違うので、日によって全く違った趣を見せます。そうしたところが印象派の絵画を見るようで面白いですね。影の落ち方も多様に変化するため、そうしたところにも注目してみてください。また、彼の彫刻には晩年の絵画に見られる特徴も表れています。2体の裸婦像の丸みを帯びたボリューム感がそう。平面的な絵画に対し、彫刻は立体の世界。彫刻の周りをゆっくり歩いて、絵の中だけでは感じられない質感や形を360度堪能してみて。」
私は「洗濯する女」を真横から見た姿が好きだ。ちょっと見るコツをつかむと、彫刻が醸し出す不思議な雰囲気にどんどん引きこまれてしまった。 偶然にも今秋、静岡市美術館でルノワールの絵画作品を目にすることができる。彫刻と同じ晩年の作品とのことで、この目で確かめたい。今から楽しみだ。
展示会詳細はこちらから 静岡市美術館 http://www.shizubi.jp/

駅南銀座商店街 夜店市今昔 ~今編~

毎年8月1日、2日は駅南銀座商店街の納涼夜店市。「子供から大人までが安心して楽しめる、手作りのまつり」で親しまれてきたこの催しも、今年で40年目を迎える。夜店市のバトンはそれを「つくった」世代から、「楽しんだ」世代へ託されつつある。今の夜店市に携わるほとんどのスタッフたちは、子供の頃にお化け屋敷や宝釣りで遊んだ世代だ。昔は手作りゲームや小売店のセールが人気を博したが、現在は美味しい料理に舌鼓を打ちにやってくる客が増えたりと、催しの様子は変わってきている。しかし、第1回夜店市から続く輪投げは今も健在。浴衣を着て遊びに来る子供たちの姿も見かけられる。飲食店は手作りの露店を出し、自慢の逸品を振る舞う。世代や町並み、催しの内容が変わっても、夜店市の土台は昔から揺らいでいないように思う。


駅南銀座商店街 夜店市今昔 ~昔編~

昭和51年春、駅南銀座では5日間にわたって露天市が開かれた。題して「歩行者天国メチャ安 露天市」。当時大型店舗の地方進出が加速する中、駅南銀座商店街の人々は結束し、商店街ならではの地域貢献の仕方を模索した。これが今年で第40回を迎える納涼夜店市の走りだ。夜店市を企画した初期メンバーは今までの静岡にないものを求めた。婦人洋品店モリモトの信吾さんもその一人。「夜店市」の着想を得たのは、老舗や名店の手作り出店で有名な、麻布十番商店街の「納涼まつり」。東京まで視察に出向き、手作りのノウハウを参考にした。初期の頃のお化け屋敷は大好評。信吾さんもお化け役をやった(子供達に逆に脅かされたこともあるとか)。ねぷたを作ったこともある。大工や電気工事屋、絵に長けている人など、商店街中の人々が結集し、個々の得意分野を活かして一つのものをつくり上げたのだ。こうして手作りの夜店市は駅南銀座商店街に定着していった。今もなお、各店舗による手作りの出店が要の夜店市。昔と変わらず、コンセプトは「子供から大人までが安心して楽しめる、手作りのまつり」だ。

もう一つの夜店市物語

夜店市には運営陣がいれば、客もいる。加えて、商店街の店に立つ人々のことも忘れてはいけない。清見そばの一人娘として店を守ってきた洋子さんは、夜店市の様子をあまり知らない。その2日間はずっと店の仕事で追われているからだ。朝から晩まで客足は途絶えず、大忙しだという。弱音は吐かない。いつなんどきも変わらず店のために尽くす、その姿勢がとてもかっこいいと思った。