荘厳な一乗寺、静かな時の流れを感じます。

路面電車が走った町。

かつて、清水の町には路面電車が走っていたことを知っていますか?これは、1974年7月の七夕豪雨により庵原川の鉄橋が流失し、9車両中8車両が水没するなど致命的な被害を受け、翌年に廃止となるまで市民に親しまれてきた清水市内線の物語です。清水市内線は、港橋駅から横砂駅まで合計14の電停を往来する路面電車でした。時間も正確で事故も少なく、住民にとってなくてはならない存在だったそう。夏になると、袖師駅ではかつてそこに広がっていた海水浴場に訪れる客で賑わい、秋葉山まつりや港まつりでは臨時電車や花電車が走りました。
そして現在、今はなき清水市内線を後世に伝えようと活動している人々がいます。今回市内線について教えてくれた青木君がまさにその代表者で、清水鉄道遺産保存会を立ち上げた人物。地元に走っていた路面電車の存在に興味を持ち、車両の保存活動や廃線散歩の企画等を運営中です。現在は、1車両だけ残った市内線「モハ65号」を富山県高岡市伏木にて保管中。メンテナンスを続けて清水の土地に新たな居場所を見つけ、里帰りさせる日を目指しています。

木造宝冠阿弥陀如来像

先人たちの想いを感じて…。

11月下旬の秋晴れの日、庵原の一乗寺(曹洞宗)ではある文化財が一般に向けてお披露目され、拝観客で賑わいました。今回、公開されたのは木造の宝冠阿弥陀如来像。鎌倉時代に制作されたと考えられている県指定文化財に登録された仏像です。気品に溢れたお顔を見つめていると、心が落ち着いてくるよう。そんな面部の特徴や衣文には写実性が表れていることから、円派仏師によるものと言われています。ところで、仏教に精通している人なら少し奇妙な点に気づいたはず。曹洞宗である一乗寺のご本尊は釈迦如来なのに対し、阿弥陀如来は極楽に住むとされる浄土信仰の仏様。実はこの仏像、元々は今の久能山にあたる久能寺の安置仏だったそう。時代に翻弄され、場所を移し、明治維新の廃仏毀釈を逃れ、今この場所へ。宗派を超えてこの仏像を守り大切にしてきた先人たちの賜物です。こちらの仏像、普段もお寺に一報することで、拝観することが可能。ぜひ訪れてみては。

整備された三池平古墳跡。

清水で見つけた、歴史の足跡。

全国で競い合うように古墳が造られていた古墳時代。清水のこの地でも例に漏れることなく古墳が造られました。清水インターの周辺には、いたるところでその跡が見つかっています。清水ナショナルトレーニングセンターと隣接している三池平古墳や神明山古墳はいずれも全長70メートルを超す前方後円墳。出土した鏡や石製品、筒型銅器などの宝器や鉄器は、埋葬された豪族たちの王権の強さを表しています。また、周辺の遺跡から出土した書簡には「廬原」や「五百原」などの「いほはら」という表記が見られ、現在の「庵原」の地名の由来は当時から来ているものだということもうかがい知ることができます。時代が少し進むと、『日本書紀』に記された白村江の戦いに登場する廬原君臣という人物がこの地を治めていたという記録も。「いほはら」の名は断片的な資料に限られており、その時代の全貌を解釈するまでには至っていません。しかし、約1500年も昔の遺跡が混在する清水の地にロマンを感じずにはいられません。