何で清水港には客船が寄港するの??

清水港は、県下各産地のお茶を海外に直接輸出することを目的の1つとして1899年(明治32年)8月4日に開港し、今年で120周年を迎えます。三保半島を天然の防波堤にして、陸には主要道路が走るロケーションを持った清水港は古くから産業港として栄え、今でも日本有数の国際海上コンテナ取扱い機能を持った国際貿易港としての役割を果たしています。産業中心の港にクルーズ客船が寄港したのは、平成2年のクイーンエリザベスⅡが初めてのことでした。客船の寄港は、港に彩りを加える1つのステータス。その誘致に尽力しているのが、清水港客船誘致委員会です。客船が実際に寄港するのはほんの一時ですが、誘致するためには、なんと2、3年も前からの準備が必要というから驚き。広域におけるゲートウェイとしてステップアップを図る清水港の新たな要の1つが客船の誘致。120周年を機に、清水港は次なるステージへと向かいます。

清水港の色

「清水港」で連想するカラーは何色ですか?水色や白が思い浮かんだとしたら、それは清水港をよく観察している証拠です。実は、アクアブルー(10B7/8)とホワイト(N9.5)をシンボルカラーに持つ清水港。「刷新した、真新しい」という意味が込められているのですって。通常、クレーンや煙突などは航空法により定められた紅白の塗装を施さなければいけないのですが、この港では爽やかなアクアブルーのクレーンを見ることができます。注意して見ると工場の屋根や壁も地区ごとに統一されていることに気づくはず。これらは全て、平成3年に策定された「清水港・みなと色彩計画」の取り組みにより実現しました。富士山を望む清水港の美しい自然景観と調和した人工景観を創出しようという目的のもと、臨港地区を8つの地区に分け、各地区の色彩方針を打ち出し、清水港をアクアブルーとホワイトを中心に各地区のカラーで染めています。さまざまな企業の協力により保たれているこの景観に、清水港の結束力を感じ頼もしくなりました。

折戸湾のプリン

折戸湾を見渡すと、海面にコンクリートでできた突起物がたくさん並んでいることに気づきます。その形から、地元の人たちはこれを「プリン」と呼んでいるそう。このプリンたちは昔、折戸湾が貯木場として使われていたときに大活躍していました。正式名所を「コンクリートビット」と言い、海に浮かべられた貯木をつなぎ止めておくための杭として用いられていたのです。貯木の規模は、折戸湾の水面を埋め尽くすほどだったと言います。その様子は、まるで丸太のいかだが浮かんでいるかのようで、湾内中を貯木の上を飛び石を行くように歩き渡ることができたそう。また、貯木の下は魚たちの絶好の棲家でもあったようです。徐々に海外から輸入される木材が増え、湾内から貯木の姿は消え、折戸湾は貯木場としての役目を終えました。今はコンクリート製のプリンだけが残った、というわけです。