世代を超えた交流の場「東禅寺」

近隣住民との交流を目的に、毎年11月に東禅寺で開催されている「お寺コンサート」。平成13年にスタートし、第16回目を迎えた今年は120名もの参加者があったそうです。イベント当日は、檀家さんや有志奏者によるピアノやサックスのジャズ演奏、更には大学時代マンドリン部だった住職自らがマンドリンの合奏に参加し、会場に美しい音色を響かせました。また、ソプラノ二重唱による「みんなで歌おう」のプログラムでは、子どもから大人まで誰もが知っている童謡が披露され、会場にいる全員で大合唱になったとか。こちらは誰でも参加できる好評のプログラムで、毎年恒例の行事になっているようです。このような取り組みをきっかけに、「誰でも気軽に来てもらえる、みんなの心に寄り添っていけるお寺にしていきたい」と現住職の堀場さん。今後は、落語や講演会の開催にも力を入れていきたいといいます。
また、ここ東禅寺には、お寺としては珍しく一部の窓にステンドグラスの装飾が施されています。こちらはチェリストでもあった前住職の希望によって20年ほど前に取り入れられたそう。一見すると相反するはずの和と洋の組み合わせですが、落ち着いた雰囲気の本堂に色鮮やかなステンドグラスがアクセントとなって居心地の良い空間をつくりだしています。東禅寺を訪ねた際には、ぜひこちらもチェックしてみてくださいね。

みんなのやりたいを応援「ひかり市民センター」

古庄駅の近く、元幼稚園の一室をリノベーションして造られた多目的スペースがあることを知っていますか?その名も「ひかり市民センター」。隣接する「園庭カフェ」の店主、原さんによって「チャレンジしたい人を応援する場」として2019年4月に開設されました。風通しが良く、わがままなイベントが実現できると好評で、いつも予約でいっぱいだそう。例えばベビーマッサージ教室やママによるマルシェといった、親子向けのイベントをはじめ、講演会や猫の譲渡会など、場所選びが難しい内容の場合も気兼ねなく利用できます。「子連れのママでも周りを気にせず、気軽に足を運べるような場所になってほしい」と主催者の一人で、ご自身もママでありながら敷地内で古着屋choosyを営むミヤコさん。今後も様々な取り組みにチャレンジしていきたいとのことです。近くに来た際にはぜひお立ち寄りを。

沓谷の「寺町」ここにあり

現在沓谷のある地域は昔々、一面に沼が広がる湿地帯でした。一歩足を踏み入れると腰までずぽっと入ってしまい、腰巻が必要だという理由から住所に「腰巻」と小字(こあざ)が付けられたほどです。そこへ、多くのお寺が集まって来るようになったのは戦災後の昭和20年(1945)のこと。当時ほとんどの建物が木造だったため、戦火によって大部分の家屋が焼失してしまいました。その後、中心市街地再生のために都市復興計画が実施され、旧寺町(現在の常磐公園付近)にあったお寺の多くが現在の地へと移転してきたのです。しかし、移転してきたのはいいものの、当時その辺り一帯は田園で整備された道路もなければお堂を建てる土台もない状況。そこで、当時の和尚さんたちは自ら山を切り崩して水田を埋め立て、そこへ本堂を建てました。切り崩した山の間には長沼駅へと通じる道ができ、その道を使って墓石や仏具を運搬。まだ未整備の砂利道でしたが、荷馬車や牛を使って何度も何度も往復し、やっとのことでお寺を築き上げました。このような先人の努力があって、現在の風情ある寺町が出来上がったのです。

禮次(れいじ)さんと巴川

江戸時代末期から続く米農家の4代目として、禮次さんが佐塚家に誕生したのは昭和18年のこと。その当時、上土は辺り一面が沼地と湿田に囲まれ、その中心に流れていたのが巴川。当時は道路もなく田船を使って田んぼへ行っており、村中の農家は競って巴川の川辺に船着き場を構えていました。そんな巴川も豪雨によって川の水があふれることがしばしば。そうなると嬉しいのは子どもたち。禮次さんも子どもの頃はよく橋の欄干から飛び込み、鮒や鰻、蜆などを取っていたといいます。特に蜆は尊ばれ、行商のおじさんに買ってもらっては小銭を稼ぎ、家計の足しにしていたそう。このように、巴川は村人にとって生活の糧になっていたのです。
禮次さんが31歳の時、静岡は「七夕豪雨」の被害に見舞われました。一晩で508ミリという大豪雨に襲われ、静岡市内では26156戸が浸水。禮次さん宅も巴川の氾濫による床上浸水の被害に遭ったそう。米農家の佐塚家にとって米は何よりも大事。このままでは米が濡れてしまうと、家族総出で納屋にあった米を袋に詰めて高いところに避難させました。その努力が報われ、一粒たりとも濡らすことなく、無事に米を守り抜くことができたそうです。
現在76歳の禮次さん。楽しい思い出も、苦い思い出も全部ひっくるめて巴川と歩んできました。お世話になってきた巴川に恩返しをすべく、現在では度々川のゴミ拾いを行い、いつまでも美しい巴川であることを願っています。