常光寺 静岡市葵区常磐町2-4-3 ℡/054-252-8930

地域に開かれた寺 常光寺

常磐町2丁目にある常光寺は、1603(慶長8)年に建立され、宗祖を親鸞聖人、本山を京都の東本願寺に持つ、浄土真宗のお寺。静岡大火と戦災で2度全焼するも、仏像と400年分の過去帳(法名や死亡年月日等を記す檀家の記録)を、現在まで守り継いでいるという。また寺町が沓谷へ移される際、この地に残った数少ない寺院でもある。そんなお寺の14代目住職鈴木靖子さんが目指すのは、「宗派に関係なく、いろいろな人が気軽に来られる開かれたお寺」。月に2回「書写の会」、月に1回「オカリナの会」を開催し、誰でも参加を歓迎している。どちらも1回500円とのことなので、まずは気軽に参加してみては。
また、敷地内には江戸火消しの親分だった新門辰五郎が妻と子分のために建てた墓がある。その墓の前で行われる春(3月)と秋(9月)のお彼岸、7月のお盆の年3回、「東嘉会(とうかかい)」による木遣りの奉納がまた見事だという。こちらも、どなたでも見物可能。静岡一の規模を誇るグループの木遣りを、ぜひご覧あれ。

参考文献:静岡新聞社編集局(1984)『いま街道は 東海道編』静岡新聞社.

由比正雪が最期を遂げた地 梅屋町

梅屋町という名は、昔この地にあった旅籠『梅屋』に由来するという。梅屋太郎左衛門が営んでいたその旅籠に浪人風の男たちが宿を求めて訪れたのが慶安四年のこと。それは、由比正雪を頭とする幕府転覆を図る一行であり、まさに決起寸前の夜だった。しかし密告があり、江戸からの知らせを受けた町奉行に取り囲まれ、正雪は仲間と共に自害して果てた。これが世に言う「慶安の変」である。この事件により、旅籠『梅屋』は取り壊され江尻宿に追放になったという。そして主人の梅屋太郎左衛門はショックで同年11月に世を去った。参考文献によると、由比正雪という人物が歴史に登場するのはわずか4日間。しかし、その後の幕府は浪人対策に力を入れるなど政策を見直し、体制も武断政治から文治政治へと移行。くしくも正雪の理念が叶う形となっていく。また事件の舞台となった『梅屋』の名は町名として今もこの地に残り、そこで起きた出来事もこうして語り継がれている。その事実に、どこか彼の執念のようなものを感じずにはいられない。