焼津「石津西公園」周辺のすごいトコロ・おもしろいトコロ

焼津市歴史民俗資料館 焼津市三ケ名1550(焼津市文化センター内)
℡/054-629-6847

法永長者屋敷「小川城」

焼津市小川5丁目の住宅街にポツンと佇む石碑を見つけた。そこに刻まれているのは「小川城址」の文字。すろーかるでは幾度となく焼津市内をクローズアップしてきたが、「小川城」の存在は聞いたことがなかった。

江戸時代に記された『駿河志料』には「法永長者の旧跡」との記載があり、法永長者とは、1476年に今川義忠が急死して起こった相続争いにおいて、後の今川氏親(幼名・竜王丸)の後見人となった長谷川正宣という人物を指すらしい。昭和60年代に小川城遺跡の発掘調査が行なわれると、屋敷内部や堀の遺構、門の柱の一部、屋敷で使われていた日用品などが見つかった。堀は長辺約150m、短辺約80mにもなり、屋敷が広大であったことをうかがわせる。また出土品には茶道具や中国貨幣など輸入品が多く、長谷川氏はかなりの財力を持ち合わせた権力者だったと考えられている。しかし、武田氏と今川氏が対立すると、この地からの退却を余儀なくされたよう。出土品の一部には焼け焦げた跡が見られ、またそれより後の時代の出土品は見つかっていないことから、小川城の歴史は火事によって幕を閉じたと考えられている。しかし武田軍によって火を放たれたのか、あるいは逃げる際に自ら火を放ったのかは定かではないと言う。

小川城があった場所は今やすっかり住宅街となっており面影を追うことはできないが、出土品や資料は、焼津市歴史民俗資料館で見ることができる。

石津西公園・愛称「みなく~る」

区画整理の中で誕生した石津西公園。その愛称は一般の市民からアイデアを募集。地元の小学生などからも応募があり、様々な候補が集まったと言う。選ばれたのは、下小田在住の齋藤さんが考案した「みなく~る」。自身の子どもの頃の公園に対する思い出や、ふだん目にする公園の景色、そこで遊ぶ子どもの姿から、「公園がみんなの日常に溶け込み、〝みんなが集う場所〟になってほしい」との思いを込めたそうだ。とても広く、遊具や見晴台などがあり、様々な人が様々な過ごし方をするのを叶えてくれそうな「みなく~る」。今年は開催中止となってしまったものの、焼津市が東京オリンピック・パラリンピックのホストタウンになっているモンゴルの文化に触れるイベントの会場になるなど、すでに重要な役割を期待されている。焼津市の新たなシンボルとして、これからきっと多くの人を迎え入れ、楽しませていくだろう。焼津市の職員が手作りした看板もぜひ見つけてみてほしい。

「漁師になる」を叶える学校

焼津と言えば、漁業の町。そんな焼津に、漁師になるための専門校があるのはご存知だろうか。それが静岡県立漁業学園だ。毎年、「漁師になりたい」という強い意志を持った30歳以下の若者が全国から集う。学園は1年間の全寮制。指導経験豊富な先生の下、大型漁船の船長や機関長を目指して、ロープワークや網づくり、溶接、無線、操縦など様々な知識や技術を学んでいくのだと言う。また、常に危険と隣り合わせの海の上では、技術や体力はもちろん、過酷な状況に負けない精神も不可欠。寮での集団生活を通じて、規則正しい生活や協力体制、コミュニケーション力を培っていく。11月の遠洋航海実習では、1ヶ月間ほぼ海の上で過ごし、カツオの一本釣りなども経験。生徒は見違えるようにたくましくなって帰ってくるそうだ。そんな生徒たちの就職率は100%!卒業後は全員が漁船に乗り、漁師としての1歩を踏み出すのだ。漁業の町の学校は、まさに日本の漁業の一端を支えている。