旧東海道からの寄り道話

軍神社やお祭りの時にあがる花火の話、ちょっとした昔話に耳を傾けてみませんか。

軍神社

曲金の西豊田小学校の横、旧東海道から少し奥に入った所にある軍神社は、桓武天皇の時代に蝦夷を平定したことを記念して創建されたという。一説には、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、この地で戦勝を祈ったという伝承もあるほど、古い歴史を持つ神社である。

祭神は、タケミカヅチノミコトとフツヌシノミコト、どちらも武神で武家からの信仰を多く集めていたことから、江戸時代には参勤交代の諸大名も社参あるいは代参を必ずして、道中の無事を祈願したらしい。

境内には、楠の大樹が何本もあり、日差しの強い日には木陰で休む人たちの姿も見られる。歴史は古いが、子どもたちが遊ぶ姿もあり、どこか親しみを感じられる神社である。

また、江戸時代から伝わるこんな昔話がある。子どもたちが御神体を持ち出し、首に縄をかけてわらじに乗せて引き回し、馬などの糞土で汚して遊んでいた。それを見た村の老人が叱って、洗い清めて社に戻した。その夜、猪にまたがり、左右に童子を従えた尊像が夢に現れ「子どもたちの遊びを叱るな、私は運の神となってこの社に居よう」とおっしゃった。同じ夢を見た村人が多かったことから、宮殿を造立して安置し、運神または軍神として諸願の成就することを祈願したという話である。以来、8月に花火をあげて祭礼を行なってきた。

軍神社の花火と鉄叩唄

江戸時代から続く軍神社の祭礼の花火は、現在は、8月1日に行なわれている。当日は、打ち上げ花火やナイアガラ花火が楽しめ、境内は出店でにぎわう。

かつては、それぞれの家で花火を作っていたという。「花火に必要な鉄粉の入手が困難だった時期には、使わなくなった鍋や釜を砕いて鉄粉を作っていた」と話してくださったのは、静岡県神社総代会の久保田さん。写真に一緒に写っているのは、その時使用した道具の一部だ。本来は、この道具に竹で作ったやぐらと、10mほどの竹の棒を組み合わせて、竹のしなりを利用して、筒に刺した棒を上下させることで砕くそうだ。棒に重量があるとはいえ、鉄粉にするのはかなりの重労働だと想像できる。その作業を行なうときに、みんなで歌った唄が「鉄叩唄」だという。「太鼓合図にそーれ」という歌い出しから始まり、打楽器のみの音と男性たちの「よいよい」などのハヤシが所々に入りながら歌われる。祭礼では、保存会の方たちによる実演もある。

コロナ禍で、この2年の祭礼は中止となってしまったが、来年は歌と共に実演を見られることを楽しみにしたい。