心ひとつに、竜南まつり

昭和39年から昭和58年まで竜南小学校で行なわれ、今なお地元の人々の心に残っている祭りを取材した。

創立50周年記念誌から、夜祭りの様子。

左)紙吹雪と商店の前を練り歩くみこし。右上)学校を出発するみこし。右下)竜南太鼓を合奏する児童。

竜南小学校には昔、「竜南まつり」というものがあったそうだ。昭和39年に開校した竜南小学校は、それまで別の3つの小学校に通学していた児童約450人が通うこととなった。別の学区から集まったこともあり、当時はいろいろと苦労があったそう。初代校長の石橋義彦さんは、児童も先生も保護者も、みんなが参加して共に学び、共に汗を流す行事が必要と考え、米作りと収穫祭を提案したらしい。校庭の一角にあった水田に苗を植えて、収穫を行なった後、小さなみこしをかついで校内を練り歩いたのが始まりだという。その後、生産することの喜びを感じ取らせたい先生の願いと、収穫の嬉しさや感謝を表現したいという児童の気持ちが合わさったことで、行なわれた「取り入れまつり」は年々工夫され、やがて「竜南まつり」となっていったのだ。

春に苗を植え、カカシやスズメオドシを作り、秋に収穫した稲を脱穀すれば、いよいよ祭りの時期となる。1年生から6年生までの縦割りで班を作り、自分たちで育てた稲穂を御神体としたみこしを、2日間かけて作るところから祭りは始まる。当日は、それをかついで学区を練り歩く。沿道から拍手を送ってくれる人、屋根に登って小さな紙切れをまき応援してくれる商店のおじさん。多い時で約1700人、40近いみこしが町を回ったというのだから、かなり賑やかだったのでは、と想像できる。学校に戻ってきて、収穫した米で作られた「竜南寿司」を食べたら第一部が終わる。

夕方、家から自作のぼんぼりを持って学校に戻ると、第二部の夜祭りの始まりだ。「竜南音頭」に合わせて踊ったり、酒樽で作った「樽太鼓」で「竜南太鼓」を合奏したり、楽しい時間が過ぎていく。日が落ちてくると、校長先生が扮する実りの神が現れ、校庭に組まれた木に屋上から張られた針金を伝って「実りの火」が放たれる。校庭で猛々しく燃える火は、キャンプファイヤーのような雰囲気を創り出していたという。夜も深まったら「みこしおさめ」の行事。無事に収穫が終わり、楽しく勉強できたことを感謝しながら火の中にみこしを納めるのである。「みこしおさめの歌」を歌いながら、自分たちで作ったカカシやみこしを燃やしていく。「灰が舞い上がる姿を見ていると、天に帰っていくような、なんとも言えない気持ちになり涙が出てくる」と、当時小学生だった人たちは口々に話してくれた。最後は「今終る」という歌で祭りの幕が下りる。

取材をしていると、祭り以外にも多くの歌があるのに気付く。これらの歌は先生や生徒たちが自分たちで作ったのだという。また、毎回盛大な紙吹雪で迎えてくれるおじさんや、太鼓用に酒樽をとっておいてくれる酒屋さんなどがいたと聞くと、小学校の祭りであると同時に地域の祭りでもあったのだろう。

昭和58年の開催が最後になってしまったが、5年生では米作り、「竜南太鼓」や「竜南音頭」は運動会で披露されるなど、今でも一部が引き継がれている。